学校に行けない人もいるんだぞ!が暴論だと思う理由
みなさんこんにちは
みなさんは学生の時代(現在も学生の方も含む)に学校に行きたくないな~と思ったことはありませんか?
そんな事を親に言った時こんな台詞を言われたことがありませんか?
学校に行きたくても行けない人もいるんだぞ!学校に行ける環境に感謝して学校に通え!休んだりするな!に似たことを言われた経験がある人も少なくは無いと思います。
今回はこの台詞が暴論だなって思う理由を自分なりに書いていきます。
子供に学校に行く義務はない
そもそも勘違いしている人が多いですが子供にあるのは学校に行く権利であって義務ではありません。
権利(けんり)………やってもいいしやらなくてもいいこと
義務(ぎむ)………やらなくてはいけないこと
親には学校に行かせる義務がたしかにありますが、それは子供が学校に行きたい場合です、行きたくない場合はこの義務は発生しません。
それに子供は学校を休む権利もあります。
水不足だから豪雨の人に雨に感謝しろって言えます?
俺らの場所は水不足なんだ!だからおまえらも自分の地域に雨が降ったことに感謝しろ!何て言えますか?そんなこといってる人を見たことありますか?
、
おそらくこの文章を見た時
- こいつ何いってるんだ
- 馬鹿じゃないの?
- 最低だな
- 不謹慎だ
と思ったと思います
でもこれと『学校に行きたくても行けない人もいるんだぞ!学校に行ける環境に感謝して学校に通え!休んだりするな!』
何が違うんですか?たしかに雨の例えは極端ですが理不尽という点では同じです。雨がないから豪雨に感謝しろっていってるのと同じです。
他にもいってない人がいる
学校を見れば(特に中学校)長期的に休んでいるいわゆる不登校の生徒がいると思います。そんなとき自分は強制的に学校に行かされていると思うと学校に行きたくなくなります。
そんな中親に話をしたら行きたくても行けない人がいるんだぞ!何て言われたら心が折れると思います。そんなことも考えずに軽々しく心を折ることを言ってしまうのは親としてどうなのかな?と思ってしまいます。
それが学校に行く理由にはならない
学校に行きたくても行けない人がいるからといって学校に行く理由にはなりませんよね。
おそらく学校に行きたく無い理由に学校に行く理由が見いだせないという理由があると思うのですが、結局そんなこと言われても『じゃぁ学校に行こう』って思える人は少ないと思います。
結論としてはこの言葉は暴論だと私は思います